福田順亮の東北山形での丁稚奉公
スタッフブログ 2011年10月3日人生の中では過去を見つめ直すのも重要です。
私は、松下幸之助商学院を卒業後、約3年間、山形の大先輩
のお店で山形1番の地域店、峯田電器(株)様に
一番の戸惑いが言葉が解らなかった事です。
自分にとって衝撃でした。
ここは海外か?とまで思いました。
まずは、毎日方言を覚えました。(笑い)
言葉が解らなくて、電化製品が売れるわけがないですよね。
東京から来たというと、特に驚かれ、言葉が解らなくても
話は聞いてくれました。
何とか1年が過ぎ、だいぶ言葉も解るようになって来た
ころに、売上も毎月上がるようになりました。
言葉が解り、お客様と人間関係ができコミュニケーションが
とれるようになりました。
人生で一番苦労して、何かを掴んだ時期でした。
そんな20歳になった時に迷惑をかけてしまいました。
なんと当時忘れもしない1月7日に398000円のハイビョン
テレビを販売でき、喜んでアンテナ工事をしていた時・・・・・
屋根から落ちてしまいました。
そして、皆様に大変迷惑をかけてしまいました。
成人式は病院のベットの上でした。
両親からの成人のお祝いと同時にケガを心配する電報が・・
ぜったい動くなと書いてありますが、動きたくても
動けません(笑い)
峯田電器さんの皆様からも励ましの言葉をたくさんいただき
今では本当に感謝しております。
その後、ケガも治り仕事も復帰、そして最後の頃は何と言葉が
山形弁になっていました。
山形弁をしゃべっていました。
東京に帰った時のみんなの笑いが
今でも思い出されます。
無事に約3年間を終えることができました。
私の人生で忘れられない、3年間でした。
峯田電器の社長様・奥様・皆様・お客様に
本当に感謝いたします。
今回、自分の人生の1ページとして書かせていただきました。
商売の原点を教わりました。
本当に感謝しております。
山形、峯田電器バンザイ!!
みんなに会いたいなぁー!!
最後までご覧いただきありがとうございます。
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